聖書箇所:ヨハネの福音書3章16節
「永遠の命」というと、一般的には、今私たちが持っている肉体の命が永遠に続くことだと思われるでしょう。しかし、それは聖書が教える「永遠の命」ではありません。
1.命は「結合」死は「分離」
この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』こうして彼らは祝宴を始めた。ルカ15:24
放蕩息子は実際に死んだわけではなく、生き返ったわけでもありませんでした。ここで言うところの生死は、父親との関係において「分離(死)」されてしまっていたのが、再び「結合(生、命)」したということです。一般的に命にある根本的イメージは「活動」、死は「停止」ですが、聖書においては「結合」「分離」のイメージが主となります。
2.神との永遠の結合
わたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。ヨハネ17:22
死が「分離」そして、命が「結合」を意味することを知るとき「永遠の命」が「永遠の結合」を意味することを理解することができます。では、何と結合するのか?それは創造主なる真の神とです。ですから、キリスト教における救いとは「罪」によって創造主なる神から分離されていた人間が「贖い」によって、神と結合することなのです。
3.キリストとの結合
永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。ヨハネ17:3
私たち人類が再び神と結合するためには罪の贖いが必要です。その贖いのための子羊としての条件を備えておられるのはナザレのイエス以外にありません。イエス様は十字架によって罪の贖いを成し遂げ、私たちに聖霊を与えられました。私たちは聖霊によってイエス様に結びつけられ、イエス様によって父なる神に結びつけられるのです。
(2024年10月13日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)