Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

ヤイロの娘と長血の女

聖書箇所:マルコの福音書5章21‐43節

なぜ、ふたりの女性の奇跡物語が交錯するようにして描かれているのでしょう?きっと、そこにも神様の目的があり、意味があったのでしょう。

1.ヤイロの娘と長血の女

イエスはヤイロと一緒に行かれた。すると...そこに、十二年の間、長血をわずらっている女の人がいた。マルコ5:24〜25

ヤイロの娘と長血の女の人生が交わるようにして描かれた奇跡物語。なぜ、そのようにして描かれたのか?その理由は、単純にそのとおりのことが起こったからでしょう。しかし、全ての物事の背後には神の御手があります。神があえて、ふたりの対照的な女性の奇跡の出来事が交わるようにして起こされたことにも意味と目的があったはずです。

2.十二年の間

十二年の間、長血をわずらっている女の人(マルコ5:25)少女はすぐに起き上がり、歩き始めた。彼女は十二歳であった。(マルコ5:42)

ヤイロの娘と長血の女には「十二年」という共通項がありました。それはヤイロの娘にとってはあまりにも短い「十二年」、しかし、長血の女にとってはあまりにも長い「十二年」でした。「十二」という数字は聖書において特別な意味を持ち、特に神の「選び」に結びつきます。神は、選びの民それぞれにふさわしい期間を備えておられるのです。

3.恐れないで、ただ信じなさい

イエスはその話をそばで聞き、会堂司に言われた。「恐れないで、ただ信じていなさい。」マルコ5:36

長血の女は自ら信仰を持つことができました。ヤイロの娘の場合は父親であるヤイロが信仰を持つことができました。しかし、ナインのやもめの息子の復活の奇跡のように、母親も、息子も信仰を問われないこともありました(ルカ7:11‐17)。神の憐れみと恵みとは神の主権にあり、信仰に先立つものであることを忘れてはいけません。

(2024年10月20日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)