聖書箇所:マルコの福音書6章1~6節
イエス様が郷里ナザレに帰られたとき、郷里の人々はイエス様の教えに驚嘆したものの、キリストとして信じた人はわずかでした。それは何故だったのでしょうか?
1.人間の視点
この人は大工ではないか。マリアの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄ではないか...こうして彼らはイエスにつまずいた。マルコ 6:3
イエス様の郷里ナザレの人々は帰郷したイエス様の教えに驚嘆したもののイエス様を救い主として受け入れることができませんでした。「彼らはイエスにつまずいてしまった」というのです。そのつまずきとは、彼らのこの世の価値観に基づいた偏見でした。彼らは職業、出身、年齢、容姿、性別、人種、家柄、財産などで人を判断していたのでした。
2.創造主の視点
人はうわべを見るが、主は心を見る。サムエル第一 16:7
この世に属する人たちは、この世の基準で物事を判断します。しかし神の国に属する人たちは、神の国の基準で物事を判断します。私たちが神の前に立つとき、神様は私たちの学歴や職業や財産や家柄について問われることはありません。神様が私たちに問われるのは「あなたは、あなたの隣人をあなた自身のように愛しましたか?」ということです。私たちはそのことを心に刻む必要があります。
3.聖書の視点
...心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か...を見分けるようになります。ローマ12:26
心を新たにし、自分を変えていただかなければ、私たちは神のみこころを見分けることができない。つまり、私たちが神の国の価値観を身につけていなければ、神様に正しく応答することはできないということです。だからこそ、私たちは聖書を学び、聖書が教えるところの世界観、人生観、価値観を身につけることが重要になるのです。
(2024年10月27日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)