聖書箇所:ヨハネの福音書13章34節他
イエス様が弟子たちに教えられた、弟子としてのあるべき姿勢、それが互いに愛し合うことでした。自らを省み、はたして自分は愛に生きているかどうか吟味しましょう。
1.愛があるなら
互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。ヨハネ13:35
「互いに愛し合う」。これが私たちがキリストの弟子であることの証しです。もし「互いに憎み合っている」なら、私たちはキリストの弟子とは言えません。「互いに無関心」であっても、そうです。キリストの弟子として第一歩は互いのために祈ることです。そのためにも、互いの人生に関心を持つことが必要になって来るのは言うまでもありません。
2.友のためにいのちを
人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。ヨハネ15:13
「愛」の本質は「犠牲」であり、その究極が自らの命を捧げることです。イエス様はそのことを弟子たちに教えられただけでなく、自らその究極の愛を実践されました。その証しが十字架です。イエス様は私たちが「まだ罪人であったとき...私たちのために死なれ」(ロマ5:8)このことによって、私たちに愛を示してくださったのです。
3.永遠の愛をもって
永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに真実の愛を尽くし続けた。エレミヤ31:3
私たち人間はみな等しく「愛」を求めています。それは「愛される」ことだけではありません。「愛すること」も求めているのです。人間は愛し愛される存在として創造されているのです。そして、その根源的な欲求を完全に満たしてくださる方こそ、創造主なる神なのです。この方のもとに帰ることこそが、私たちに真の平安をもたらすのです。
(2024年11月10日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)