聖書箇所:マルコの福音書6章14節ー29節
バプテスマのヨハネとヘロデ(アンティパス)は対照的な存在として比較することができます。天における評価、地における評価、あなたはどちらを求めますか?
1.神を恐れるバプテスマのヨハネ
ヨハネがヘロデに、「あなたが兄弟の妻を自分のものにするのは、律法にかなっていない」と言い続けた...マルコ6:18
バプテスマのヨハネは時の為政者ヘロデ(アンティパス)の不道徳な行為を公に叱責し、悔い改めを迫りました。そのようなことをしたら、投獄されたり、処刑されたりするかもしれないことをヨハネは重々承知していたことでしょう。しかし、彼は神を恐れる者として、自らに与えられている「荒野の声」としての使命に生きることを選んだのでした。
2.人を恐れるヘロデ(アンティパス)
王は非常に心を痛めたが、自分が誓ったことであり、列席の人たちの手前もあって、少女の願いを退けたくなかった。マルコ6:26
マルコの福音書に登場するヘロデはバプテスマのヨハネを殺そうとまでは思ってませんでした。しかし、最終的に自分の意に反し、処刑せざるを得なくなったのは人を恐れたからでした。彼の判断基準は神の前に何が正しいか何が間違っているかではなく、何が自分にとって得なのかまた損なのか?という思考でしかありませんでした。
3.人を恐れると罠にかかる
人を恐れると罠にかかる。しかし、主に信頼する者は高い所にかくまわれる。箴言29:25
サタンは私たち人間を様々なかたちで攻撃してきますが、そのために人を利用して来ることも少なくありません。ですから「人を恐れると罠にかかる」という言葉は「人を恐れるとサタンの仕掛けた罠にかかる」というふうに捉えることもできます。永遠という視点から見るならば、ただ神のみを恐れる生き方こそ、安全であり、また最善なのです。
(2024年11月17日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)