Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

羊飼いのいない羊

聖書箇所:マルコの福音書6章30節ー34節

イエスは群衆を見て、羊飼いのいない羊のようだと感じられました。そのような彼らにイエス様が与えられたのは神のことばでした。

1.イエスの御名の権威

使徒たちはイエスのもとに集まり、自分たちがしたこと、教えたことを、残らずイエスに報告した。マルコ6:30

十二弟子たちは、きっと興奮しながら宣教報告をしたことでしょう。彼らはイエス様の御名の権威によって働く神の力がどのように偉大なものであるかを目の当たりにしたのです。そして、その権威は十二弟子たちだけでなく、今を生きる私たちクリスチャンにも与えられているのです。私たちはそのことを確信し、御名の権威を行使するのです。

2.人間としての限界

イエスは彼らに言われた。「さあ、あなたがただけで、寂しいところへ行って、しばらく休みなさい。マルコ6:31

人間である以上、肉体的な限界、また精神的な限界はあります。実際イエス様でさえ、地上での歩みの中では疲れを覚えることがたびたびありました。ですから、私たちは肉体と精神の休息の時を設けることはとても大切なことです。特に霊的な休息は大切です。そして、それは神との密なる交わり、深い祈りの中にあることを知る必要があります。

3.羊飼いのいない羊

彼らが羊飼いのいない羊の群れのようであったので、イエスは彼らを深くあわれみ、多くのことを教え始められた。マルコ6:34

「羊飼いのいない羊」とは非常に危うい状態にあります。詩篇23篇には良き羊飼いに伴われる羊の祝福が記されています。彼らは乏しいことがなく、緑の牧場、いこいのみぎわに導かれますが、羊飼いのない羊は荒野をさまよい、飢え渇き、全てに欠乏することになるのです。それは霊的な欠乏であり、その欠乏を満たすのは神のことばだけです。

(2024年11月24日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)