Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

見よ、処女が身ごもっている

聖書箇所:イザヤ書7章14節

それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。

1.神の希望

ウジヤの子のヨタムの子、ユダの王アハズの時代、アラムの王レツィンと、イスラエルの王レマルヤの子ペカが...イザヤ7:1

イザヤ書7章14節は有名なメシア預言の一つですが、それは直接には南ユダ王国のアハズ王に語られたものである事実は非常に興味深く思われます。というのも、アハズ王は南ユダの歴代の王の中で最低、最悪の王であり、当時王国は偶像礼拝で満ちていたのです。しかし、その闇の中にいる民に「見よ!」とみことばはメシアを示したのでした。

2.神の全能

神にとって不可能なことは何もありません。ルカ1:37

イエス様が処女マリアから生まれたという教えを事実として伝える時、多くの人は、そんなことは信じられないというでしょう。実際、当事者であったマリアも受胎告知の際「どうして、そのようなことが」(ルカ1:34)と反応しました。それに対して、御使いが言ったことが「神にとって不可能はない」でした。神の救いの計画は徹頭徹尾、神の全能の力によって導かれ、成し遂げられることを忘れてはいけません。

3.神の子羊

ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。ヨハネ1:29

「処女から生まれる」ことは神の全能であること、またメシアの特別性を表すとともに、メシアが完全な人間でありつつ、罪を受け継がない人間であることを示す象徴的な事象として捉えられます。完全に罪がない存在でなければ人類の全ての罪を取り除く神の子羊とはなりえません。ゆえに処女懐胎の出来事は非常に重要な教えとなるのです。

(2024年12月1日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)