「疑うことは悪いことではありません。それは、あなたの働きのために必要です」
私の目から鱗が剥がれ落ちた瞬間でした。
「なんで?どうして?」
質問ばかりしている子でした。
母はそんな私を、当時の教育番組の登場キャラにちなんで
「なんだろう君」
と呼びました。
聖書や信仰についてもそんな感じだったので、ある日、少しだけ機嫌が悪かった母にキレ気味にこう言われました。
聖書のことを疑うのは不信仰よ!
え? そうなの? 僕は不信仰なの?
でも、疑問は増すばかり。
不信仰の極みとなり、鬱々と過す十九歳の頃、何も告げないのに、ある牧師が祈ってくれた時の言葉が冒頭の言葉です。
真理を求めるが故の疑問を神様は喜ばれます。
なぜでしょう?