聖書箇所:マルコ8章27節~30節
イエスをどのような存在として捉えるのか?それが、私たちの地上での人生だけではなく、来たるべき世における永遠の人生に大きな影響を与えるのです。
1.イエスをどのようなお方として捉えるか?
イエスは、彼らにお尋ねになった。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」マルコ8:29
多くの人がイエス・キリストに無関心です。ある程度関心がある人でも、三大宗教の創始者のひとり、あるいは社会改革者や道徳家としてしかみなしていません。しかし、イエスご自身は自らをそのような存在としては示されませんでした。「わたしは道であり、真理であり、いのちである」。これが自分自身に関するイエスの証言なのです。
2.あなたはキリストです
ペテロがイエスに答えた。「あなたはキリストです。」マルコ 8:29
イエスに対峙するとき、私たちの前にはふたつの選択肢しかありません。それは、イエスはまことにキリスト(救い主)であるか、もしくは否かです。もし救い主でないとするなら、イエスは誇大妄想に囚われた精神的に問題のある人、もしくは、稀代のペテン師です。しかし、私たちはこの方こそ、神がお遣わしになられたまことの救い主であることを信じ、受け入れ、今、永遠のいのちを得ていることを信じています。
3.わたしに従いなさい
イエスはペテロに言われた...わたしに従いなさい。ヨハネ21:22
イエスを「救い主(キリスト)」と告白するということは、イエスを自らの主人とする告白でもあります。ですから、クリスチャンなのにキリストの教えに従おうとせず、自分の思うままに生きているとするならその人は本当の意味でイエスをキリストと告白しているとは言えないのです。そのような信仰の姿勢でい続ける限り、私たちは決して神の生きておられることを体験することはできません。
2025年5月4日の礼拝説教要約(説教者:高森恒喜牧師)