Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

御霊は保証

エペソ人への手紙1章1節~14節

神に祝福を求めることは、神に喜ばれることです。神はその願いに応えて、私たちの日々の必要を満たしてくださいます。

ただし、もし私たちが地上の祝福ばかりを求めているとしたら、それは神のみこころとは言えません。神が私たちに本当に与えたいと願っておられるのは、「霊的祝福」(エペソ1:3)だからです。

聖書には「求めなさい。そうすれば与えられます」とありますが、それは地上での祝福を求めるよう教えているのではなく、聖霊を求めるように教えているのです(ルカ11:13)。

聖霊を求めることと霊的祝福を求めることとは切り離して考えることはできません。なぜなら、聖霊こそ霊的祝福の保証だからです。そしてその霊的祝福の最たるものが「救い」です。すなわち、新生も聖化も栄化も、すべて聖霊によるのです。

また神の国と神の義を求めることと、聖霊を求めることも切り離すことはできません。なぜなら、私たちは聖霊なしに神の国に入ることも、神の義を行うこともできないからです

これらのことを思うとき、教会が完成を目指すうえで、聖霊がいかに重要な役割を果たしているかを確認することができます。だからこそ、イエス様は「聖霊を冒涜する者は赦されない」と言われたのでしょう。

私たちの全人格(霊・魂・体)の救いは、「栄光のからだ」に変えられるときに完成します。神は意味もなく私たちを栄光のからだに変えられるのではありません。血肉のからだは神の国を相続できないからこそ、栄光のからだを与えられるのです(Ⅰコリ15:50)。その栄光は、きっと、地上でのそれぞれの信仰の歩みを反映したものとなるはずです。

2025年6月8日の礼拝説教要約(説教者:高森恒喜牧師)