Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

ダビデの悔い改め

詩篇51篇10節~12節

ダビデ王はキリストを象徴する存在。そんなダビデが姦淫の罪を犯しただけでなく、その罪を覆い隠そうと間接的に殺人の罪まで犯した。そして、預言者にその罪を指摘されるまで、何食わぬ顔で過ごしていた。

 この事実に私たちは大きな衝撃を受けます。信仰の偉人と呼ばれる人でも、人間である以上、誰でも大きな罪を犯す可能性があるのです。

 私はダビデのような過ちを犯すことはない。そう思っている人ほど霊的に危うい状況にある人はいません。だから、決して油断してはならないのです。

ただ、それでもなお私たちは弱さのゆえに罪を犯してしまう可能性はあります。ただ、大事なのは、罪を示された時にどう応答するかです。

イスラエルの歴代の王の中には預言者に罪を指摘された時に、激怒してさらに罪を重ねるような人もいました。しかし、ダビデはそうではありませんでした。彼はすぐに「私は主の前に罪ある者」と認め、悔い改めたのです。それに対して神は預言者をとおして「主も、あなたの罪を取り去ってくださった」と神からのメッセージを伝えたのです。

 姦淫と殺人を犯した人間をそんなに簡単に赦してもいいのだろうか?と思わなくもありません。しかし、私たちはここに計り知れない神の愛を見出すことができるのです。

どんな大きな罪であっても、その罪を告白し、悔い改めるなら神は赦してくださる。逆に、どんな小さな罪でも私たちが悔い改めないならば神は赦されない。

これこそ、神の計り知れない慈しみと厳しさです。日々、悔い改めましょう。どんなに小さく思える罪であっても、すぐに悔い改めましょう。

2025年6月29日の礼拝説教要約(説教者:高森真理子師)