Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

一杯の水

マルコの福音書9章38節~41節

「あなたの名によって、悪霊追放している人をやめさせようとしました!」

おそらく酷く憤慨しながら報告したであろうヨハネ。

彼がそうした理由は「その人が私たちについて来なかったから」でした。

しかし、イエス様は「やめさせてはならない」と答えられました。つまり、「ついて来なかった」ことは、その人が、ご自身の名によって悪霊追放することを妨げる正当な理由にはならないと言われたのです。

 おそらく、イエス様たちと別行動をしていた人にはやむを得ない事情があったと思われます。

イエス様と行動をともにしたかったけれども、そうできない状況の中にあった。しかし、彼はイエス様を救い主として信じていた。また目の前で悪霊に苦しむ人を解放するのは、イエス様の御名しかないことも信じていた。だからこそ、彼はイエス様の御名を行使し、実際、悪霊を追放したのです。

そこにある動機は「愛」でした。

 「やめさせてはならない」と言われ、まだ納得がいかない顔をしていたであろうヨハネと他の弟子たちに、イエス様は続けて「一杯の水」の話をされました。

それは単にキリストの弟子によくしてあげれば報われるということではなく、弟子たちのようにイエス様と行動をともにすることはできない、また「その人」のように霊的戦いの最前線に立つことはできない人であっても、福音宣教のために自分にできること。

それが、たった一杯の水を与えることだったとしても、神と人への愛がその動機であれば、その人は福音のために戦う者として、ともに報いを受けることができる。イエス様はそう教えられたのではないでしょうか。

2025年7月13日の礼拝説教要約
(説教者:高森恒喜師)