
【アシュタロテ】ガリラヤ湖の東約32キロに位置する現在のテル・アシュタラと同定される。聖書ではバシャンの王オグ(彼は巨人だった)の居住した町として登場。イスラエルのカナン征服後マナセのマキルの子孫に割り当てられ、最終的にはレビのゲルション族に譲渡された。
アシュタロテ(ヘブライ語:עַשְׁתָּרוֹת、Ashtaroth)は、旧約聖書に何度か登場する古代の都市で、バシャン地方に位置していたとされる(現在のシリア南部やゴラン高原の一部)。都市名は女神「アシュタレト(Astarte)」の名に由来していると考えられ、宗教的・文化的な意味を帯びた場所だったことが伺える。 「アシュタロテ・カルナイム(Ashtaroth Karnaim)」という形でも登場し、創世記14章5節では、東方の王ケダルラオメルがレパイム人を討った場所として言及されている。また、申命記1章4節では、アモリ人の王シホンと並び、バシャンの王オグがこの地を拠点としていたことが語られています。オグは巨人族レファイムの生き残りとされ、その領地にはアシュタロテ以外にもエデレイという都市が含まれていた。 イスラエルのカナン征服後、アシュタロテはヨシュア記13章によればマナセ族の東側の領地として割り当てられた。これは、当時のイスラエルが戦いによって異教の勢力から土地を奪い、各部族に分配していった過程の一環である。その後も、歴史的記録や預言書の中で、アシュタロテはしばしば異教の神々との結びつきによって、信仰的堕落や警告の象徴として言及される。 考古学的には、アシュタロテは現在の「テル・アシュタラ(Tell Ashtarah)」に比定されることが多く、ローマ・ビザンチン時代には「アスタラ」としても知られた場所です。町の遺構や碑文などから、古くからの宗教的な重要性や、後のキリスト教時代における発展も示唆されています。 アシュタロテは単なる地名以上の意味を持ち、イスラエルの歴史の中では、異教との接触や信仰の純粋さをめぐるテーマと深く関わる象徴的な地であると言えるでしょう。詳細を読む