
マルコの福音書9章49~50節
「塩に塩気がなくなる」(50節)というようなことが実際にあるのでしょうか?今私たちが使用している塩に関しては、基本的にそのようなことはありません。しかし、現代のように十分に精製されていなかった古代の塩にはありえました。
石灰などの不純物が混じり、その色は真っ白ではなく、灰色、もしくは褐色がかっていた古代の塩は、湿気などによって塩化ナトリウムが溶け出してしまい、塩から塩気がなくなってしまうことが実際にあったのです。
見かけは「塩」のようであっても、その本質である「塩気」を失ってしまえば、何の役にも立たなくなってしまう。
同じように、見かけはクリスチャンのようであっても、その本質を失ってしまったら、その人は神と人とに仕える上で役に立たない者となってしまう。イエス様はそのように教えられたのです。
それでは、今、塩気(本質)を失ってしまっている状態であるならばどうすれば良いのでしょうか?
その答えが「人はみな、火によって塩気をつけられます」(50節)です。
物理的な塩が火によって塩気を取り戻すことはありません。
しかし、私たちクリスチャンは聖霊の火によって塩気(本質)を取り戻すことができるのです。
では、その本質とは何でしょう? それは「神のかたち」(創1:26)です。すなわち「キリストの似姿」です。
クリスチャン生活とは「栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていく」過程です。
そして、「これはまさに、御霊なる主の働きによる」(2コリ3:18)。これが、私たちの確信です。
2025年8月3日の礼拝説教要約
(説教者:高森恒喜師)
(説教者:高森恒喜師)