
マルコの福音書10章13節~16節
「イエスに触れていただこうと人々が子どもたちをイエス様のところに連れてきた」(13)とありますが、ルカの福音書の並行記事では「子ども」ではなく「幼子」と訳されており、年齢としては乳児から2歳ぐらいまでをイメージすることができます。
弟子たちはそのような子どもたちをイエス様のところに連れて来ようとする親たちを叱りました。
しかし、イエス様はむしろ弟子たちを叱り、神の国は子どものような者たちのものだと教えられたのです。
では「子どものような者」とはどのような人たちのことでしょう?
それは「子どものように自分を低くする人」(マタ18:4)です。
これは一般的な意味での「謙遜」とは異なります。一般的な意味での「謙遜」は人との関係においてのみでも成立します。つまり、神との関係を抜きにしても、その人は「謙遜な人」だと言われたりします。
しかし、聖書の教える「謙遜」は創造主なる神との関係を抜きにしては成立しません。つまり、一般的には「謙遜な人」とみなされる人であっても、その人が無神論を標榜し、自分には神など必要ないと思っているなら、その人は聖書の教えによると「高慢な人」に分類されるのです。
またクリスチャンになったからといって、その人が自動的に「謙遜な人」とみなされるかというと、そうでもありません。もし、その人が日々の生活の中で、祈ろうとしない、聖書を学ぼうとしないなら、それは神の知恵も力も私には必要ないと公言しているのと同じです。その人は「高慢な人」なのです。日々、神を求める人こそ、謙遜な人です。
2025年8月17日の礼拝説教要約(説教者:高森恒喜師)