Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら

わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。(黙示録3章20節)

その信仰が「生ぬるく」、実は霊的に「みじめで、哀れで、貧しい」のに「豊かで富んでいる」と勘違いしているラオディキアの教会。彼らに対してイエス様は「わたしは戸の外に立って、たたいている」と言われました。つまり、彼らが自分たちの霊的状況を正しく認識できていなかったのは教会からキリストの臨在が失われてしまった結果であったと捉えることもできます。私たちは神の臨在の中、神との親しき交わりの中でこそ正しく自己を認識できることを忘れてはなりません。