
マルコの福音書10章32節~34節
イエス様の受難告知、マルコの福音書における三度目の記録です。これまでの受難告知と比較すると、内容がより具体的になっています。その理由は、おそらく、これまでの受難告知と今回の受難告知に決定的に異なる点があったからでしょう。それは告知からイエス様が実際に十字架刑に処せられるまでの期間です。というのもこの告知から、イエス様が実際に十字架刑に処せられるまでは、ほんの数週間ほどしかないまでに迫っていたのです。
そのような中、イエス様は「今わたしの心は騒いでいる」(ヨハ12:27)と言われました。そして、身もよじれるような葛藤の中、「『父よ、この時からわたしをお救いください』と言おうか」と、生身の人間であるナザレのイエスとしての正直な心情を吐露しつつも、すぐに「このためにこそ、わたしはこの時に至ったのだ」と自らを奮い立たせ、神の御子であるキリスト・イエスとしての決意を新たにされたのでした。「イエスは弟子たちの先頭に立って行かれた」(マコ10:32)というイエス様の姿にも、その決意を垣間見ることができます。
またその決意は、イエス様が父なる神の命令であるからというだけではなく、ご自身の意志と権威をもって「多くの人のための贖いの代価として、自分の命を与えるために」(マルコ10:45)十字架に死なれたことを示します。その十字架の愛のみわざのゆえに、私たちは罪を赦され、神の子どもとされ、永遠の命に生かされるものとなりました。私たちもまたイエス様のように「このためにこそ」という使命感に燃えて神に仕える者として日々新しくされることを求めていきましょう。
2025年10月5日の礼拝説教要約(説教者:高森恒喜師)