Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

何をしてほしいのか

マルコの福音書10章46節~52節

盲人バルテマイはイエス様が自分の目の前を通り過ぎようとしているのを知り「ダビデの子よ、私をあわれんでください!」と大声で叫びました。彼のこの叫びは私たちに多くのことを学ばせます。

まずは、私たちが神を呼ばなければならないということです。また、自分自身が誰よりも「神の憐れみ」を必要としている存在であるという自覚です。神は「わたしを呼べ。そうすればわたしはあなたに答える」(エレ33:3)と語られます。そして、その呼ぶ声の大きさは、その人がどれほど、自分には神の憐れみが必要と思っているかどうかに比例するでしょう。その叫びの切実さに応じて神は答えを与えてくださるのです。

バルテマイの「目が見えるようにしてください」との願いもまた、私たちの願いでなければなりません。彼の場合は肉体の目が見えるようになることでしたが、私たちの場合は霊の目が見えるようになることです。私たちにとって、最も憐れな状態は霊の目が塞がれて見えなくなってしまうことです。

厄介なことに、肉体の目が塞がれている場合は本人にその自覚がありますが、霊の目が見えなくなっている場合は本人にそれが自覚されないことが多いのです。むしろ、誰よりも見えていると思っていることもあり、その高ぶりこそが、霊の目を塞ぐ最大の要因であることに気づかずにいるのです。

だからこそ、私たちは神の前にへりくだり、ひざまずき、神よ、私を憐れんでください、私の霊の目を、霊の耳を開いてください、と叫び続けなければならないのです。

2025年10月26日の礼拝説教要約(説教者:高森恒喜師)