
私たちがこの地上に生かされている理由は「神を求めるため」であると聖書は教えます(使徒17:27)。
では神を求めるとは具体的に何を求めることでしょう。その答えの一つが「神を知ること」です。
預言者ホセアは「さあ、主に立ち返ろう」(ホセア6:1)と呼びかけましたが、その流れで「主を知ることを切に追い求めよう」とも言っています。つまり「主を知ることを切に求めること」は悔い改めた者の在り方、言い方を変えれば、方向転換した者の進むべき道なのです。ですから、今自らの信仰生活を省み、神を切に求める気持ちが失われているとするならそれは間違った方向を向いて進んでいることになります。
また「主を知る」とは単に知識として知ることではないということも忘れてはいけません。聖書で言うところの「知る」とは「体験的に知る」ことです。
では、私たちはどのようにして神を体験的に知るのでしょう。それは神の臨在に生きることによってです。では、神はどこに臨在されるのでしょう。それは神の宮であり、その宮とはあなた自身なのです(Ⅰコリ3:16)。
しかし、神の宮というだけで、神がそこに臨在されるわけではありません。絶えず神の前にいけにえが捧げられ香が焚かれている必要があります。
では、私たちがいつも捧げるいけにえ絶えず焚くべき香とは何でしょう。それは「感謝と賛美」のいけにえであり、また「祈り」という香です。すなわち、いつも喜び、絶えず祈り全てのことに感謝する人のうちにこそ神は臨在され、そこで私たちは日々、主と出会い、日々、主を体験し、日々、主を知り続けるのです。
2025年11月9日の礼拝説教要約(説教者:高森恒喜師)