Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

キリストはろばに乗って

マルコの福音書11章1節~11節

なぜイエス様は「ろば」に乗ってエルサレムに入城される必要があったのでしょう。その最も大きな理由はゼカリヤ書9章9節にあります。そこには預言者ゼカリヤによる預言があり、それによると「メシヤは子ろばに乗って来る」というのです。その預言を成就すべく、イエス様はあえて、ろばに乗られました。

また、そのろば自体も、弟子たちに命じてではありますが、ご自身で用意されたものでした。これにイエス様が自作自演でメシヤを演じたように感じる人もいるかもしれません。しかし、私たちがそこに見出すのは、神の言葉に自らを委ねるキリストの従順と謙遜、そして、しもべとして人に仕える平和の王の姿です。

 イエス様がろばに乗られた理由は出エジプト記の13章13節にも見出すことができます。ろばの贖いについて記されている箇所です。ろばはイスラエルの民の日常生活においてなくてはならない存在でした。しかし、ろばは「きよくない動物」に分類され、その初子は人間の初子と同様、贖われる必要があったのです。もし贖わないなら首を折って殺されなければなりませんでした。つまり、羊が身代わりとなって死ぬことによって、ろばは生かされ、イスラエルで役立つ存在となったのです。

 私たち人間もまた汚れた者であり、そのままでは永遠の死という滅びに定められていました。しかし、子羊イエスが贖いの代価として十字架にその身を捧げられたがゆえに、私たちは永遠の死から解放され、永遠の命に結び合わされました。そして、今、神の国の市民として、人々に仕える者、特に神の家族に仕える者として生かされているのです。

  2025年11月16日の礼拝説教要約(説教者:高森恒喜師)