奴隷であっても自由人であっても、良いことを行えば、それぞれ主からその報いを受けることを、あなたがたは知っています。(エペソ6章8節)
「救い」を受けるためには「善行」は必要ありません。しかし、「報い」を受けるためには「善行」が必要です。そもそも、私たちは「良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られた」(エペソ2:10)わけですから「報い」の有る無しに関わらず「善行」に励むべきです。しかし、恵みに満ちておられる神は私たちの地上における「善行」を「天に宝を積む行為」と定められたのです。果たして、私たちが天国に帰った時、どれほどの宝が積まれているでしょうか。