Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧

霊の目は覚ましていましょう

いつも通る道が通行止めで、黄色いバリケードの前には六〇代とおぼしき警備員の男性。 よくある光景ですが、少し違和感がありました。警備員さんが曇天にもかかわらず真っ黒なサングラスをかけているのです。 よく見ると、その警備員さん、微妙に船を漕いで…

信仰と鬱と自殺

テキスト@エゼキエル18章32節他 説教者:高森恒喜師 信仰があれば鬱にならないのでしょうか?自殺は罪なのでしょうか?聖書をとおして考えていきましょう。 1.不信仰だから鬱になる? 私をこのように扱われるのなら、お願いです、どうか私を殺してく…

私たちはキリストの心を持っている

「だれが主の心を知り、主に助言するというのですか。」しかし、私たちはキリストの心を持っています。(新約聖書 Ⅰコリント2章16節) 自分自身の心のどこを見ても「愛」のかけらもなく、なんとキリストの似姿とかけはなれていることかと落胆することもし…

ロッキー大好き店長さん?

市内に数店舗を展開する地域密着型のスーパがあります。私たちもよく利用しているのですが、その中の一つの店舗には他にない特徴が。 それは、年がら年中朝から晩まで、映画「ロッキー」のテーマ曲が流れていること。私たちが日南に引っ越して来た二十年前か…

キリスト者として生きる

テキスト@エゼキエル18章32節他 説教者:高森恒喜師 キリスト者として生きるとは具体的にどのように生きることなのでしょう? 1.悔い改めて生きる わたしは、だれが死ぬのも喜ばない―神である主のことば―。だから立ち返って、生きよ。(エゼキエル1…

神は真実です

神は真実です。その神に召されて、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられたのです。(新約聖書 Ⅰコリント1章9節) 神は真実である。 この真理こそが、私たちの唯一の望みです。 神が真実でなければ、私たちの信仰は破綻し…

ちが~う!お母た~ん!イモ~!

ある日、私が夜九時頃に帰宅すると、当時4歳の娘が「イモ~、イモ~」と泣き叫んでいました。 イモって何?妻に尋ねると、娘が明日幼稚園でイモがいるって急に言い出したの。でも、近所のスーパーはもう閉まってるのよねぇ、と困り顔。 すると、娘はそれを…

御手の中で安らぐために

テキスト@詩篇131章1-3他 神の御手の中で安らぐことができなくては、神の子供としての自由を謳歌することはできません。 1.祈ることを学ぶ あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます(マタ…

しるしをもって、みことばを確かなものと

弟子たちは出て行って、いたるところで福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばを、それに伴うしるしをもって、確かなものとされた。(新約聖書 マルコ16章20節) 初代教会時代、その宣教に神がともに働かれた時、そこには「しるしと不思議」…

救いは人の手によるものではなく

ある牧師先生から聞いた話ですが、その先生が伝道師として教会に仕えていた頃、一年かけて学びをし、受洗の決意に導いた若い男性がおられたそうです。 その男性がいよいよ受洗となり、兄姉の前で救いの証をする時、先生は心密かに期待したそうです。 きっと…

謙遜な人とは?

テキスト@箴言18章12他 聖書が教える「謙遜な人」とはどのような人なのでしょう?謙遜な人となるためにはどうすれば良いのでしょう? 1.神を正しいとする人 イスラエルの首長たちと王はへりくだり、「主は正しい」と言った(Ⅱ歴代12:6) 謙遜とはどんな…

この方は本当に神の子であった

イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て言った。「この方は本当に神の子であった」(新約聖書 マルコ15章39節) 百人隊長にイエスこそキリストであったと思わせたのは、その死に様でした。私たちもまたその生…