テキスト@箴言18章12他
聖書が教える「謙遜な人」とはどのような人なのでしょう?謙遜な人となるためにはどうすれば良いのでしょう?
1.神を正しいとする人
イスラエルの首長たちと王はへりくだり、「主は正しい」と言った(Ⅱ歴代12:6)
謙遜とはどんな時でも自分よりも、神のほうが正しいとする姿勢です。これまでの自分の知識や体験から、自分のほうが絶対に正しいと思えてもです。高慢な人はその逆ですから、神よりも自分を正しいとします。普段どんなに謙遜であるかのようにふるまっていても、大事なところで神の判断よりも自分の判断を優先する人は高ぶっている人なのです。
2.神のことばに従う人
モーセは主の前で言った「ご覧ください。私は口べたです。どうしてファラオが私の言うことを聞くでしょうか」(出エジプト6:30)
謙遜と自己卑下が混同されることがあります。「私はそんなものではありません。私にはできません。」と言うことが謙遜に思うのです。しかし、謙遜な人は「私は主の大勇士です。私は私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです!」と神の言葉に立つのです。
3.神とともに生きる人
人よ、何が良いことなのか・・・それは・・・へりくだって、あなたの神と歩むことではないか(ミカ6:8)
私たちは神のしもべです。しもべに求められるのは主に対する「全き従順」。それは「真の謙遜」を身につけた人にのみ見いだされます。イエス様でさえこの地上においては従順を学ばれました(ヘブル5:8)。謙遜を身につけることとキリストを着ることは切り離すことはできません。
説教者:高森真理子師
(2019年10月27日礼拝説教要約)