Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

献金を捧げる姿勢

彼らは自ら進んで、力に応じて、また力以上に献げ、聖徒たちを支える奉仕の恵みにあずかりたいと...私たちに懇願しました(Ⅱコリント8:3-4)

1.自ら捧げる(自由意志によって)

一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい(Ⅱコリント9:7)

創造主なる神は人間に「自由意志」を与えられました。ですから、神は信仰を強要されることは決してありません。当然、献金を強要されることもありません。一見、自由意志によって献金をしているように見えても、それが洗脳やマインドコントロールによるものなら、それは自由意志の侵害の結果であり、強制しているのと同じです。

2.力に応じて捧げる(能力に応じて)

喜んでする思いがあるなら、持っていないものに応じてではなく、持っているものに応じて受け入れられるのです(Ⅱコリント8:12)

神への捧げものは献金に限らず、原則的にその人の力に応じて捧げられるべきものです。神が私たちに与えておられる力はそれぞれに違います。能力、財力、知力、体力などなど、それぞれの力に応じて捧げればよいのです。ですから、信仰があるなら借金をしてでも捧げろ!などという主張は聖書的ではありません。

3.力以上に捧げる(信仰に応じて)

私たちの期待以上に、神のみこころにしたがって、まず自分自身を主に献げ、私たちにも委ねてくれました(Ⅱコリント8:5)

原則的に神への捧げものは自由意志によって、それぞれの能力に応じて捧げられるべきものです。しかし、時には自分の自由意志や能力を超えたところでの献身を求められることもあります。モーセがそうであったようにです。とにかく、大事なのは「神のみこころにしたがって」捧げるということであることを忘れてはいけません。

(2022年7月17日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)