Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

祭儀に見る聖書的人間観

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テキスト@Ⅰコリント3:16他 高森恒喜牧師
神にとって人間とはどのような存在なのでしょうか?

1.神殿

あなたがたのからだは・・・神から受けた聖霊の宮であり・・・自分自身のものではありません(1コリント6:19)

私たち人間は神の住まう神殿として造られたと聖書は教えます。ですから、神の霊を宿してはじめて人間は本来の人間としてのあり方を取り戻すことができると言えるでしょう。神から離れた結果、失ってしまった神の霊を取り戻すための唯一の道がイエス・キリストです。

2.祭司

あなたがた自身も・・・神に喜ばれる霊のいけにえを・・・献げる、聖なる祭司となります(Ⅰペテロ2:5)

私たちは神の神殿であると同時に、神殿で仕える祭司でもあります。神殿は神が臨在される場所ですが、臨在が神殿に満ちるためには、常にいけにえ(供物)が捧げられる必要がありました。私たちも聖なる祭司として、賛美のいけにえ、善行のいけにえを絶えず捧げましょう。

3.供物

あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。(ローマ12:1)

祭司としての私たちが神に捧げることのできる最高の供物は何でしょう?それは私たち自身です。私たちのきよめられた日々の歩みです。また、全てを神に委ね切った人生です。神に全幅の信頼を置くこと以上に神を喜ばせるいけにえはありません。

(2021年4月11日の礼拝説教要約)