Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

神殿再建としての教会生活

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私たちはキリストの十字架の血によって贖われ、神の聖霊の宿る神殿としての在り方を取り戻しました。しかし、それは神殿の再建が始まったとということであり、まだ完成したわけではないことを忘れてはなりません。

1.私たちは神の神殿である

あなたがたのからだは・・・神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません(Ⅰコリント6:19)

私たちは個人としてまた全体(教会)として神の神殿である。それが聖書が教える人間観であり、また教会観です。私たちは常にそのことを意識しつつ信仰生活、また教会生活を送ることが求められています。そして、神の神殿として神と人とに仕える者となるのです。

2.再建されるべき神殿である

あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえを・・・献げる、聖なる祭司となります(Ⅰペテロ2:5)

神殿は祭司が仕える場所です。私たちが祭司としてよりよく仕えるためにも神殿が再建されることは急務と言えるでしょう。忘れてはならないのは神の神殿は「愛のうちに建てられ」(エペソ4:16)なければならないということです。愛がなければ建てる者の働きは虚しいのです。

3.再建は悔い改めから始める

エズラが神の宮の前でひれ伏して、涙ながらに祈り告白しているとき、男や女や子どもの大会衆がイスラエルのうちから彼のところに集まって来た。民は涙を流して激しく泣いた(エズラ10:1)

エズラ達が神殿再建にとりかかる時、最初に彼らがしたことは「悔い改め」でした。彼らはイスラエル全体の罪をあたかも自分の罪であるかのように悔い改めました。信仰は個人的なものではなく、共同体との関わりの中で捉えなければならないこともここに学ぶことができます。

(2022年2月13日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)