すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。(新約聖書 Ⅰコリント10章23節)
私たちは神の許しなしには、手を上げることも息をすることもできません。ということは、この地上に詐欺や窃盗、また、殺人、戦争があるということは神がそれを「許可」されているということです。それは、私たち人間には最大限の「自由」が与えられていることの証拠です。しかし、「許される」こと「赦される」ことは別問題。行うことは許されていても、赦されないことがあるのです。私たちは「自由を悪の口実として用いないで、神の奴隷として用いる」(ガラテヤ5:13)ことを学ぶために召されていることを忘れてはなりません。
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