Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

ヨブの苦難に学ぶ

私たちは時に理不尽とも思えるような苦難を経験することがあります。しかし、それもまた神の御手の中にあることを確信しましょう。(ピリピ3章1節)

1.苦難は必ずしも神罰ではない

彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない(ヨブ2:3)

誰かしら、何かしら、幸運な出来事に出会った時、「日頃の行いが良いからだね!」と言ったり、また言われたりしたことはありませんか?軽い日常会話かもしれませんが、そこには「幸運は良い行いの結果」、「不運は悪い行いの結果」、という考え方が根底にあります。確かにそうである場合もありますが、全てがそうであるとは限りません。

2.苦難をとおしてしか悟り得ないことがある

あなたには…不可能ではないことを、私は知りました(ヨブ42:2) 

「苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。それにより、私はあなたのおきてを学びました」(詩篇119:71)とあるように、苦しみの中でしか学べない真理があります。また「神はすべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます」(Ⅰテモ2:4)との御言葉の「救い」を「新生」に限定せず「聖化」も含めれば、全ての聖徒が苦難を通じて日々新たな真理へと導かれることを知るのです。

3.苦難は神と出会うための機会となる

主は嵐の中からヨブに答えられた(ヨブ38:1)

あまりに激しい苦痛の中で、さすがのヨブも自分の人生を呪い、また神の義に対して不信の念を抱き始めました。しかし、その中でも彼は神に訴え続けました。つまり、祈り続けたのです。それは最も激しい苦難の中で生まれた真の祈りとなりました。その祈りをとおして彼は神に出会ったのです。そして、その事が彼を新たな信仰の段階へと進ませ、さらなる祝福された人生へと導いたのです。

(2022年4月10日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)