Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

復活の確かさ

キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります(Ⅰコリント15:14)

1.聖書の確かさ

この福音は、神がご自分の預言者たちを通して、聖書にあらかじめ約束されたもので(ローマ1:2)

復活されたイエス様は弟子たちに「モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされ」(ルカ24:27)特に預言の成就としての十字架と復活に言及されました(ルカ24:46-47)。矛盾するようですが、キリストの復活の確かさが、聖書の確かさを、聖書の確かさが、復活の確かさを証明するのです。

2.救いの確かさ

聖なる霊によれば、死者の中からの復活により、力ある神の子として公に示された方、私たちの主イエス・キリストです(ローマ 1:4)

創造主なる神はイエス様を復活させることにより、この人こそキリスト(救い主)であることを示されたと聖書は教えます。ですから、もしイエス様が復活されなかったら、イエス様はただの人間であり、救い主ではなく、つまり、その十字架の死には何の意味もないことになってしまいます。復活を否定することは、救いを否定することなのです。

3.復活の確かさ

キリストは、眠った者の初穂として...よみがえられました。死が一人の人を通し...死者の復活も一人の人を通して(Ⅰコリ15:20〜21)

「もし死者がよみがえらないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう」(Ⅰコリ15:16)とあるように、イエス様の復活は「死者の復活」つまり「第一の復活」(黙示20:6)の確かさを証明するものでもあります。ですから、キリストの復活を信じることは、自らの復活を信じること、永遠の御国への希望を抱くことにほかなりません。

(2023年4月9日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)