Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

小さき者、弱き者を

聖書箇所:マルコの福音書1章16節~20節
私たちがキリストの弟子として心に留めるべきことを確認しましょう

1.小さきこと

イエスはガリラヤ湖のほとりを通り、シモン...が、湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。マルコ1:16

イエス様が弟子として最初に選ばれたのは「漁師」つまり「無学な普通の人」(使徒4:13)でした。神は「この世の愚かな者を...弱い者を」(Ⅰコリ1:27)あえて選ばれます。私たちは自分の愚かさ、弱さを思い知らされることがありますが、その時は、卑下するのではなく、だからこそ、神様は自分を選んでくださったのだと感謝しましょう。

2.選ばれたこと

イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」マルコ1:17

イエス様は弟子たちに言われました。「わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました」(ヨハネ15:16)。私たちは自分でイエス様を信じることを選んだ。弟子となることを選んだ、と思うかもしれませんが、実際は違います。私たちは神の許しなしに、まことの神の存在を知ることも、イエス様を救い主として受け入れることもできません。

3.捨てるべきこと

すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。マルコ1:18

イエス様は「財産すべてを捨てなければ...わたしの弟子になることはできない」(ルカ14:33)と言われましたが、召命を受けた弟子たちは文字通り、自分の職も家も、全てを捨てて従いました。これは文字通り全てを捨てなければならないということではありません。「この世の欲と決別しなければ、イエス様の真の弟子となることはできない」ということです。もちろん、文字通り従うよう召されている人もいます。

(2023年11月19日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)