私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです(ロマ12:5)
1.教会は神の満ちておられるところ
教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです(エペソ1:23)
創造主なる神はいつでもどこにでも存在される方ですが〔遍在(へんざい)〕、それとは別に特別時に特別なかたちで存在されることがあります。それを臨在(りんざい)といいます。神は旧約時代は幕屋、あるいは神殿に臨在されました。そして、新約時代である今日は霊的な神殿である教会に臨在されるのです。
2.教会は一つからだである
わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは彼らが全うされて一つとなるためです(ヨハネ17:23)
私たちは一つとなるためにキリスト・イエスにあって召し出されました。私たちは「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全う」(ガラテヤ6:2)することによって一つとなるのです。私たちが互いに愛し合うことこそ、一つからだとなるための唯一の手段なのです。
3.教会は器官である
あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし・・・(コロサイ3:17)
創造主なる神は人々を愛しておられますが、その愛を私たちをとおして現したいと願っておられます。私たちはキリストの手足となって、人々に仕えるために遣わされているのです。そのためにも自らの使命に生きることが重要です。遣わされた者として自らを神に捧げましょう。
説教者 高森恒喜牧師
(2018年8月5日礼拝説教の要約)