あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえますように(ローマ15:6)
1.愛の交わりとしての礼拝
私たちの交わりとは、御父また御子・・・との交わりです(Ⅰヨハネ1:3)
「愛」は一人では成立しえません。つまり「神は愛です」(Ⅰヨハネ4:16)との言葉は創造主なる神の三位一体性を示唆しているのです。
父と子と聖霊の間には永遠の愛の交わりがあり、その交わりの中に私たち人間を入れてくださったという事実。これこそが「救い」であり、その交わり(礼拝)の中にとどまることこそ、私たちのあるべき姿なのです。
2.一致した礼拝のために
私たち力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきであり、自分を喜ばせるべきではありません(ローマ15:1)
創造主なる神は、私たちひとりひとりが真の礼拝者として礼拝を捧げることだけでなく、私たちが一つ心となって礼拝を捧げることを求めておられます。
そのためにも、私たちは互いに相補い合う存在として、愛のうちに結び合わされることが真の礼拝を捧げるために重要なのです。
3.一致のための忍耐
強いものである私たちは、弱い者の弱さを耐え忍び・・・(ローマ15:1 バルバロ訳)
互いにその「弱さを担う」時に、そこには「弱さを耐え忍ぶ」ことが求められます。「忍耐」に心地よい感情が伴うことはありません。多くの場合、忍耐には不快な感情が伴うものです。
ですから、私たちが互いに愛し合うことを求める時、その過程において不快な思いをすることはある意味当然です。
だからこそ、聖霊に導かれる必要があるのです。
説教者 高森恒喜師
(2018年10月14日礼拝説教の要約)