Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

信仰による

私たちが、見えるものにはよらず、信仰によって歩むときに(Ⅰコリ5:7)私たちが得ることのできるものについて考えて行きましょう。

1.忍耐

信仰によって、彼は王の憤りを恐れることなく...目に見えない方を見ているようにして、忍び通したのです(へブル11:27)

どれくらい「目に見えない方を見ているように」できるかどうかが、どれくらい忍耐できるかにかかっていると言っても間違いではないでしょう。信仰は言葉と固く結びつき、また言葉は映像(イメージ)と固く結びつきます。私たちと神様との正しい関係を心の中で映像化することも大切です。たとえばダビデは神を羊飼いとして映像化しました。

2.希望

苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生みだし、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っている(ローマ5:3-4)

信仰があれば絶望的な状況にある中でも、希望に満ち溢れることができる。聖書はそう教えています。この希望は神の愛に基づくものでありその愛は聖霊によって私たちの心に注がれます。ですから、希望に満ち溢れたいと願うなら、神の聖霊に満ち溢れ、神の愛に満ち溢れることが必要であるということです。聖霊に満たされることを求めましょう。

3.復活

その証しとは、神が私たちに永遠のいのちを与えてくださったということ...そのいのちが御子のうちにあるということ(Ⅰヨハネ5:11)

私たちの忍耐と希望は究極的には「復活」にあります。「復活」はイエス様の身に実現した出来事であるだけでなく、近い将来私たちの身にも実現する出来事です。驚くべきことにその「復活」のための原動力はすでに私たちのうちにあります。そうです。聖霊様です。私たちはすでに復活の命に預かり、その命によって生かされているのです。

(2022年7月24日の礼拝説教要約 説教者:高森真理子牧師)