真の礼拝者とは、創造主なる神にのみより頼む人です。そのためにこそ、神は私たちを訓練されることを覚えましょう。
1.真の祈りを捧げる
自分自身に頼らず・・・神に頼る者となるため(Ⅱコリント1:9)
神がエジプトから脱出したイスラエルの民をあえて逃げ場のない海辺に導かれたように、私たちをも八方塞がりの状況に導かれることがあります。私たちも人生の中でパウロのように「生きる望みを失う」(Ⅱコリ1:8)ような経験をするでしょう。しかし、そのような時に捧げられる祈りこそ真の祈りであり、信仰者として成長する機会なのです。
2.みことばにより頼む
神にあって、私はみことばをほめたたえます(詩篇56:10-11)
「神に信頼し、私は何も恐れません」と告白したダビデは誰よりも「みことばをほめたたえる」人でした。神に信頼する人は、誰よりも聖書の教えを愛し、聖書の教えに親しむ人であるはずです。「私はあなたのさとしの道をどんな宝よりも楽しんでいます(詩119:14)」との信仰に立ち、日々、神のことばを思い巡らし、神のことばを告白しましょう。
3.あらゆる場合に喜ぶ
あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願い(ピリピ4:6-7)
私たちは文字通り「絶えず祈る」者となりたいのです。自らの弱さを自覚していれば自覚している人ほど祈るはずです。そうしないということは、それは自分の力により頼んでいることになります。サタンは私たちのクリスチャン生活から「祈り」を奪い、私たちを弱らせ、その上で私たちを攻撃してくることを忘れてはなりません。
説教者:高森恒喜師
(2019年1月13日礼拝説教の要約)