Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

「この望み」を抱く

雲間に見える太陽に向かって両手を上げる女性

私たちが自らを「清く」保つためには「この望み」を抱く必要があると聖書は教えます。「この望み」について学びましょう。

1.栄光のからだに変えられること

キリストは・・・栄光に輝くからだ・・・に変えてくださいます(ピリピ3:21)

私たちの「救い」はイエス様を救い主(キリスト)として心に受け入れた時に完成するのではありません。そこから「救い」が始まるのです。私たちの個人的な「救い」は過程(プロセス)であり、新生に始まり、聖化を経て、栄化を持って完成するのです。ですから、私たちは栄化を待望しますし、それに大きく関わるであろう聖化に心を向けるのです。

2.キリストに出会うこと

キリストをありのままに見る(Ⅰヨハネ3:2)

私たちが栄光のからだに変えられる時、それは「終わりのラッパ」(Ⅰコリント15:52)が鳴り響く時であり、私たちの主イエス・キリストと相まみえる再臨の日です。それはキリストの花嫁である教会としての私たちが、イエス様と完全にひとつとなる時でもあります。それに備えて、私たちはキリストの花嫁として自らの身を整えていくことが求められるのです。

3.神を恐れること

私たちは真理に従うことによって、たましいを清め(Ⅰペテロ1:22)

私たちのたましいが清められるためには「真理のみことば」に従う必要がありますが、それは取りも直さず「罪から離れること」(Ⅰテモテ5:22)です。だからこそ、神を恐れることが「清い生き方」(Ⅰペテロ3:2)のはじめの一歩となるのです。神への恐れが欠如してしまうと、私たちは平気で罪を犯し、真理からそれて、その身を汚してしまうことになるのです。

説教者:高森恒喜師

(2019年2月3日礼拝説教の要約)