ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう(へブル10章25節)
1.臨在を求めて
二人か三人がわたしの名によって集まっているところには、わたしもその中にいるのです(マタイ18:20
イエス様は私たちがその御名によって集まるところに「臨在」して下さると約束されました。
それが、私たちが定期的に集まる大きな理由です。
「教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところ」(エペソ1:23)なのです。
2.みことばを求めて
知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い・・・(コロサイ3:16)
ひとりでも信仰を守っていけると「集まり」から離れてしまう人もいます。
しかし、「集まり」をないがしろにしてしまうことはその人にとって益とはなりません。
信仰を失ってしまう確率も高くなりますし、たとえ、信仰を持ち続けていても、独りよがりな信仰になりがちです。
そうなると正統的な教えから離れてしまう可能性も高くなります。
3.仕えることを求めて
それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい(Ⅰペテロ4:10)
イエス様は「互いに愛し合いなさい」と教えられました。
それは「互いに仕え合う」ことによって具現化されます。
当たり前のことですが、ひとりでは誰にも「仕える」ことはできません。
神様は私たちに人に仕えるために能力(賜物)を与えてくださっているのです。
(2020年1月26日礼拝説教要約 説教者:高森真理子)