テキスト@Ⅱコリント12:9-10他 説教者:高森真理子牧師
私たちの弱さは何のために与えられているのでしょうか?
1.補い合うため
だれかが弱くなっているときに、私は弱くならないでしょうか。だれかがつまずいていて・・・心が痛まないでしょうか(Ⅱコリント11:29)
私たちは誰もが弱さを持っています。弱さを見せたがらない人もいます。それを見せたら、自分が見下げられる、負けてしまう、そんな気がするのです。しかし、私たちは互いのその弱さを補い合う時に、そこに愛の絆が生まれるのではないでしょうか。
2.へりくだるため
その啓示のすばらしさのため高慢にならないように、私は肉体に一つのとげを与えられました(Ⅱコリント12:7)
神様は私たちが高慢にならないように「弱さ」を与えられることもあります。高慢は私たちが陥る中でも最も危険な罠だからです。ですから、私たちが自分の弱さを覚えるなら、それは謙遜を学ぶため、また、謙遜であり続けるために与えられていると信じ、感謝しましょう。
3.慰めるため
神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも・・・慰めることができます(Ⅱコリント1:4)
「弱さ」を経験したことがなければ「弱さ」の中に苦しんでいる人の気持ちを理解し、寄り添うことはできません。それぞれがもつ「弱さ」は異なるかもしれませんが、もしかすると、その弱さの中にこそ、あなたが進むべき使命への道が隠されているかもしれません。
(2020年11月22日の礼拝説教要約)