Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

弱さと正しく向き合うため

誰もが「弱さ」を抱えて生きています。それは人間である以上、仕方がないことです。大事なのはその「弱さ」とどう向き合うかです。

1.へりくだることを学ぶ

私は肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高慢にならないように、私を打つためのサタンの使いです(Ⅱコリント12:7)

パウロは自らがかかえる「弱さ」を「とげ」と表現しました。そして、その「弱さ」は「サタンの使い」によってもたらされたものであるけれども、それは同時に「私が高慢にならないように」神があえて許されていることだと捉えていました。私たちも自らの「弱さ」をとおしてへりくだることを学ぶことができるならば幸いです。

2.神の愛を学ぶ

神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び...この世の弱い者を選ばれました(1コリント1:27)

神はあえて弱く、愚かな私たちを選ばれたと聖書は教えます。それは「知恵ある者を恥じ入らせるため」だと。またそこから読み取ることができるのは、神は私たちを弱いまま、また愚かなままで、愛し、受け入れ、用いることのできる方であるということです。神は私が弱いからこそ、愚かであるからこそ、私たちを選び愛してくださっているのです。

3.委ねることを学ぶ

わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである(Ⅱコリント12:9)

パウロは自ら「肉体のとげ」という「弱さ」を取り除いて欲しいと神に切に願いました。しかし、神はその願いを叶えられませんでした。ただ、彼の祈りに答えられ「わたしの恵みはあなたに十分である」と言われたのです。事は私たちの願いどおりにはならないかもしれません。しかし、全ては神の御手の中にあることを信じ、全てを委ねましょう。

(2022年8月21日の礼拝説教要約 説教者:高森真理子牧師)