Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

夕方になり、日が沈むと

聖書箇所:マルコ1章32節~34節
神のことばは私たちを束縛するのではなく、真の自由を与えるのです

1.夕方になり、日が沈むと

夕方になり日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた人をみな、イエスのもとに連れて来た。マルコの福音書 1章 32節

イエス様が酷い熱病で苦しんでいたペテロの姑を癒やされたこと、また、会堂で悪霊に憑かれた人から悪霊を追い出したこと、その噂はまたたくまに広まり、それを聞いた癒しと解放を必要としていた人々はすぐにでもイエス様のもとに来ることを望みましたが、彼らは夕方になり、日が沈むまで待っていました。それはその日が安息日だったからです。

2.安息日にはいけない

会堂司はイエスが安息日に癒やしを行ったことに憤って、群衆に言った。「働くべき日は六日ある。だから、その間に来て治してもらいなさい。安息日にはいけない。」ルカの福音書 13章 14節

律法学者らは十戒の「安息日に仕事をしてはならない」という教えを厳密に守ろうとするあまり、その本質を見失っていました。その中で「癒し」は医療行為であり、安息日には癒やすことも、また癒やされることもしてはならないと教えていたのです。

3.安息日は人のため

安息日は人のために設けられたのです。人が安息日のために造られたのではありません。マルコの福音書 2章 27節

人を自由にするための律法(神のことば)が、その本質を見失ってしまうと、かえって人を束縛してしまうことになります。それは、キリストにある癒しと解放から私たちを遠ざけてしまいます。そうならないためにも、聖書の教えの基本中の基本「互いに愛し合いなさい」(ヨハ13:34)というイエス様のことばに常に目をとめていきましょう。

(2024年3月3日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)