Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

主はご自分の聖徒を特別に扱われる

朝、犬の散歩に出たばかりの、高校生だった娘が、やけに早く、しかも動揺した様子で戻って来ました。顔が真っ青です。

何事?事件でも目撃した?と思いながら、尋ねると。

お金を拾った・・・ 

いくら拾ったの? 

い、一万円・・・ 

え?一万円? 千円じゃなくて? 

見ると娘の手に握られているのは、確かに、一万円です。

なるほど、高校生で、初めての拾得物が一万円だったら、動揺するかもしれません。

ただ、一番動揺しているのは、一万円を落とした人でしょう。すぐに、警察に届けました。

そして、三ヶ月後、めでたく・・・ と言うのははばかられますが、娘のお小遣いになったのでした。

「知れ、主はご自分の聖徒を特別に扱われるのだ」(詩篇4・3)

信じられないというよりも・・・

「この宇宙はあまりにも見事に出来すぎている。

地球が太陽に少し近いだけでも、また、地球が少し小さいだけでも、生命は存在できなくなる。

この事実を説明するためには、創造主の存在を認めるか、それとも別にその理由を探るかの二択しかない。

そして、私は別の理由を探るために多次元宇宙を研究している。」

これはごく最近耳にしたある物理学者の言葉です。

多次元宇宙については、無数に宇宙が存在すれば、今、私たちが存在している奇跡の宇宙が存在する可能性があるのでは?ということらしく、結局、神の存在を信じられないのではなく、信じたくないだけなんだなと思ったのです。

「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」(ヨハネ20・27)

目下、療養中

新型コロナウイルスの日本上陸から約四年。先日、ついに私も、コロナデビュー。いずれ感染する時は来るだろうとは思ってましたが、今回、家族四人、同時感染とあいなり、コロナの感染力の強さに驚かされています。

インフルエンザの感染力も強いとは思います。しかし、一ヶ月ほど前にはインフルエンザにも感染している、可哀想な娘とともに、同じ屋根の下でふつうに生活をしていたにも関わらず、妻も私も、インフルには感染しませんでした。体感的にはコロナの感染力のほうがインフルの十倍ぐらいありそう(実際のところは分かりませんが)。

不謹慎ですが、これぐらいの勢いで福音が拡大してくれれば良いのになぁと思いつつ、目下、療養中であります。

一万円か、千円か

神学生時代、ある賛美集会に参加したときのことです。献金の時間になった時、司会者がこう言いました。

今、あなたの心に示された額を捧げましょう。

その瞬間、私の脳裏に一万円という額がよぎりました。

しかし、私は神学生であると同時に貧学生です。財布にそんなお金が入っているはずがありません。

まさか、と思いながら、財布を開けると一万円札が一枚、千円札が一枚入っていました。

一万円を捧げるか、千円を捧げるかの二択です。

献金の袋が回って来ました。隣の神学生は震える手で一万円を捧げました。

私も… 私は… 千円。

三日後、私のもとに祖母から三千円が届きました。

七日後、あの神学生に母教会から百万円が届きました。

そういうことです。

田中です。今から二人でそちらに向かいます。

夜八時、チャペルに電話がありました。

受話器を取ると、こちらが名乗る前に

「田中(仮名)です。今から二人でそちらに向かいます。」

と男性の声。

田中? 来る? 今から? 何で? 

私は戸惑いました。しかし、向こうはこちらが了承済みのような物言い。

脳裏に、背広を着た若い刑事が玄関で警察手帳を見せるイメージがよぎります。

あの、どちらさまですか? 

「え? 蓮(仮名)さんですよね?」

事態が飲み込めました。電話の主はよく似た番号の居酒屋に電話しているつもりだったのです。

ほっとしましたが、なぜ、私は刑事が来ると思ったのでしょう。謎です。

ともかく、私たちは、今にでも来ようとされているイエス様をいつもイメージしないと、ですね。

失敗を気にしないのは素晴らしいことですが

以前、勤めていた職場でのこと。

上司が足をひきずっていたので、どうされたのですか?と聞くと、サッカーの試合中、肉離れをしたとのこと。年も年だから気をつけないとね、と言われてました。

それから半年後、上司がまた足を引きずっておられたので、どうされたのですか?と聞くとサッカーで肉離れ、と言われます。

同じところを怪我されたのですね、と言うと、

え? という反応。

それに、私も、え? となり

いや、半年前もサッカーで同じところ怪我されてましたよね? 

虚空を見つめ、そうだったけ?と上司。

これはまたすぐに怪我するなと心配になりました。

良い意味で失敗を気にしないのは素晴らしいことですがそこから学ばないのは恐ろしいことです。

AI作家、芥川賞受賞!?

今や、AI(人工知能)が小説を書く時代。しかも、その小説が芥川賞を受賞をするのですから、世も末(※個人の感想です)。

もちろん、今回、芥川賞を受賞した小説はその全てがAIで書かれたわけではありません。

しかし、その著者がAIを駆使して書いたのは事実。しかも、その約5%がAIが考えた文章そのままだそう。

まあ、小説はよしとしましょう。

しかし、この流れで、説教の原稿をAIに書かせる牧師も出てきそう(笑

)しかし、それってどうなんでしょうね。果たして、そこに神のメッセージはあるのか?はなはだ疑問です。

神のメッセージはウェブ上にあり、端末によって得るものではなく、天上にあり、祈りによって得るものではないでしょうか?

www.cnn.co.jp

基本、全てのことに自信がない

ある牧師と歓談していた時のことです。

話しの流れで

「その方は、自信がないのかもしれませんね」

と言うと、少し間が空き

「自信が・・・ない? 自信が・・・?」

と、きょとん顔です。

私は瞬時に理解しました。そうか、いつも自信満々の人には、自信がないという状態が分からないのか。

私は全く逆。自信がある状態がよく分かりません。基本、全てのことに自信がない。

若かりし頃は、そんな自分が嫌で嫌でたまらなかったのですが、そんな自分を否定するでもなく、肯定するでもなく、そのままを受け入ることを学び、自信がないままで生きる自信がつきました(笑)。

神様は、あえて弱い者を選ばれる方です。だから、大丈夫。主が私たちとともにおられます。