テキスト@使徒16:11-40(説教者:高森恒喜牧師)
1.聖霊の時、聖霊の方法
使徒16章に記されているルデヤという女性の救いは宣教の働きが「聖霊」によるものであることを明示します。
私たちの働きは「福音」を信じさせることではなく「福音」を伝えることです。あとは聖霊様に委ねるのです。
聖霊様は適切な時に適切な方法で選びの民に信じる心を与えてくださいます。救いへ導かれる方法もそれぞれ違います。
ルデヤや看守もそうでした。自分がこのような救われ方をしたから、他の人も同様な体験や方法で救いに預かるべきだと考え、それを押し付けることは聖霊の働きを妨げることになります。
2.悪霊の巧みな宣教妨害
占いの霊に憑かれた女性の言っていることは間違いではありませんでした。ですから、彼女の言動は一見すると、パウロたちの宣教の働きに協力しているように見えます。
しかし、実際、それは宣教の働きに対する妨害行為以外の何物でもありませんでした。このことは教会内においても起こりえることです。
極端な例をあげれば、真面目なクリスチャンが福音宣教に熱心になるあまり、毎日のように友人の家を訪ねて、一日中、福音を語っていたとしたらどうでしょう。
信じようかなと思っていた人も、辟易してかえって心を閉ざすことにならないでしょうか。それは聖霊の導きではありません。
3.全てが神の御手にある
宣教の働きを妨害する占いの霊を女性から追い出したことで、パウロらは彼女を商売の道具としていた輩に恨まれ、投獄の憂き目にあいます。
状況としては宣教の働きに対する妨害がさらに深まっているようにみえますが、実はこれこそ神が看守とその家族を救うために用意されていた周到な計画だったのです。
私たちはどのような自体になろうとも、神の完全な救いの計画を信じて、どん底に思える時にこそ神に賛美と祈りを捧げていこうではありませんか。