テキスト@使徒17:1-15他(説教者:高森恒喜牧師)
1.聖書のみ、イエスのみ
「聖書に基いて・・・イエスこそ、キリストなのです」(使徒17:3)
私たちの宣教の働きの土台は「聖書」であり、その中心は「イエスこそキリストである」との使信です。
聖書以外の何かに聖書と同等の権威を置いていたり、聖書の教えを単なる人間の思想として教えているなら、正統的な信仰を継承しているとは言えません。
また、聖書を唯一の権威ある神の言葉として認めていても、聖書が最も伝えようとしている「イエスがキリストである」とのメッセージが語られていないなら、宣教の働きが不健全になっていると言えるでしょう。
2.真理を追求する
「はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた」(使徒17:11)
テサロニケのユダヤ人たちと、ベレヤのユダヤ人たちの大きな違いは彼等の真理を求める姿勢にありました。
テサロニケのユダヤ人はパウロの語る言葉が真理であるかどうかよりも、自分たちの共同体からキリスト者が出ることが面白くなかったのです。それで妬みにかられてパウロたちを迫害します。
しかし、ベレヤのユダヤ人たちは共同体の存続や自分たちのプライドよりも「真理」がどこにあるのかということを真剣に探り求める人達でした。
だからこそ、彼らはパウロの語るナザレのイエスにキリスト(救い)を見出したのです。
3.羊と山羊を分ける
「彼らのうちの幾人かはよくわかって・・・従った」(使徒17:4)
イエス様が「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は・・・」(ヨハネ6:54)と言われた時、表面的なことでしか物事を判断できない弟子たちはその言葉を誤解し、イエス様から離れていきました。
神様は時に羊と山羊、良い麦と悪い麦を分けるため、あえて誤解が生じる事を言われたり、なされたりされることがあります。
それにどう応答するかで、私たちが信仰の本質を掴んでいるかどうかが試されるのです。
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