ユダヤ人たちは熱心ではあったけれども知識に不足していたとパウロは指摘した。その不足していた知識とは一体何だったのでしょう?
1.「神の義」を知らなかった
彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようと(ローマ10:3)
自分を義とする人と、神を義とする人の違いは、イエス様の「パリサイ人と取税人の祈り」(ルカ18:9~14)の譬えに分かりやすく示されています。
私たちは「自分の正しさ」によって神に近付こうとする限り、神に受け入れられることはありません。神に近づくためには「神の正しさ(義)」によるしかないのです。
2.「キリスト」を知らなかった
キリストが律法を終わらせられた(ローマ10:4)※律法が目指すものはキリスト(別訳)
「神の正しさ」によって神に近づくためにはどうすればいいのでしょう?聖書が私たちに示す「神の義」とは何でしょう。それは「律法の完成者」であるキリストです。
「神の義」となられた「キリスト」につながることによって、私たちもまた「神の義となる」(Ⅱコリ5:21)ことができるのです。
3.「信じる」ことを知らなかった
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。(ローマ10:10)
「神の義」となるために「キリスト」によって神に近づく必要があることを知っても、それだけでは十分ではありません。私たちはそれを「信じる」ことが求められます。
それは、自らが罪人であることを認め、そして、その罪の状態から救ってくださるお方はキリスト以外にはないことを心から認め、その証として「告白」することから始まります。
説教者 高森恒喜牧師
(2018年6月24日礼拝説教の要約)