神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。(ローマ13:1)
1.権威に従う責任
人はみな、上に立つ権威に従うべきです(ローマ13:1)
全ての「権威」の背後には神の御手がある。それが聖書の見解です。
ですから、国家を治める為政者であれ、家庭を治める両親であれ、その「権威」を認め、それに従うことは神のみこころです。
神は平和の神です。平和は秩序によってもたらされ、秩序は権威によってもたらされます。だからこそ神は「権威」に対する服従を重要視されるのです。
2.権威は私たちを益するために
善を行いなさい。そうすれば、支配者からほめられます。それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです(ローマ13:3-4)
「権威」に従うことは神のみこころです。そこには神の祝福が伴います。目に見える祝福もさることながら、目に見えない霊的祝福も当然伴います。
特に「権威」に従うことによって、創造主なる神の「権威」に対する信仰にも深まりが出てくることが期待できます。(参照※マタイ8:8~9)
3.良心のためにも権威に従う
ただ怒りが恐ろしいからではなく、良心のためにも(ローマ13:5)
罰を受けるのが怖いから「権威」に従うというのも、決して間違った姿勢ではありませんが、「権威」に対するよりよい姿勢は「良心」のゆえに「権威」に従うというものです。
「良心」はそれに従えば育つものです。しかし、それをないがしろにすれば「良心」は育ちません。それどころか麻痺してしまう可能性もあります。それは私たちの益とはなりません。
説教者 高森恒喜牧師
(2018年8月19日礼拝説教の要約)