テキスト@マルコ12:41-44 高森恒喜牧師
貧しいやもめに宿っていた偉大な信仰に学びましょう
1.神の義を求める
神の国と神の義を求めなさい(マタイ6:33)
貧しいやもめにとって「信仰」とは何かしらの益を得るための手段ではありませんでした。つまり、ご利益宗教的な考えに基づいた信仰ではなかったのです。もしそうなら、とっくの昔に神に愛想を尽かしていたことでしょう。しかしやもめにとって「信仰」はどのような状況の中にあっても正しい判断をし、正しい行いをするための指針だったのです。
2.神の愛を信じる
不信仰になって、神を疑うようなことはなく(ローマ4:20)
やもめはこれまでも誠実に忠実に献金をして来ました。しかし、捧げても捧げても経済的には祝福されませんでした。それでもなお捧げ続けついには一文無しに。彼女は、みじめな気持ちで献金箱の前を去ったでしょうか?私はそうは思いません。むしろ、彼女は最後の最後まで神の愛を信じ切ったという喜びに満ち溢れていたと信じるのです。
3.神の力に委ねる
五つです。それに魚が二匹あります(マルコ6:38)
貧しいやもめが献金箱にいれたレプタ銅貨2枚は現在の日本円の価値に換算すると150円ぐらいでしょう。裕福な人々が多額の金を献金箱に入れる中、それは本当にわずかな額でした。しかし、彼女はそのようなことは気にしませんでした。このような小さいものでも、神が祝福される時にそれは大いなる祝福となることを信じたのです。
(2021年2月21日の礼拝説教要約)