たとえ私が持っている物のすべてを分け与えても、たとえ私のからだを引き渡して誇ることになっても、愛がなければ、何の役にも立ちません。(Ⅰコリント13章3節)
そもそも、愛がないのに、財産の全てを人に分け与えたり、その命を犠牲にできるかな?とも思いますが、パウロはあえて極端な例をあげ「愛」が何よりも優先されるべきであることを伝えたかったのでしょう。
ただ「愛」は具体的行為によって表現されなければ「真実の愛」とは言えないのが(Ⅰヨハネ3:18)難しいところ。
イエス様が私をとおして人々を愛してくださるよう聖霊の満たしを求めて祈るのみです。