Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

良い地に蒔かれるとは?

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テキスト@マタイ13:23他

「良い地」と「悪い地」を比較しながら実を結ぶ人生を送るために大切なことを学びましょう。

1.実行する人

自由をもたらす完全な律法を一心に見つめて、それから離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならず、実際に行う(ヤコブ1:25) 

「道端に落ちたもの」とは、みことばを聞いてもそれを心に留めない人です。

みことばを聞いてもすぐに忘れるので、当然のことながら、みことばを実行できません。

結果、みことばを体験的に知る機会を逃してしまうのです。

「良い地」に蒔かれるものは、みことばを実行し、神を体験的に知る人です。

2.継続する人

彼らは立派な良い心でみことばを聞いて、それをしっかり守り、忍耐して実を結びます(ルカ8:15)

「岩の上に落ちたもの」とは、みことばを実行はするけれども、それが一時的なもので終わる人です。

その原因のひとつとして、その人にとって、みことばが結局のところ「人のことば」としてしか捉え切れていないことがあります。

「良い地に落ちるもの」は、みことばを主なる神のことばとして受け入れ、それを信じ、また忍耐を持って行い続けます。

3.前進する人

 鋤に手をかけてからうしろを見る者はだれも、神の国にふさわしくありません(ヨハネ20:14)

「茨の中に落ちたもの」とは、いつも天にではなく地に目を向けるために成長が妨げられる人です。

「良い地に落ちるもの」は肉に属するものを後にし、神の国に向かって前進する人です。

そのような人は日々新たにされ実を結び続け、神の国に入るにふさわしく整えられます。

2020年3月8日 礼拝説教要約 

説教者:高森恒喜