テキスト@第一コリント15章他 高森恒喜牧師
私たちは「復活」の出来事をどのように捉えるべきでしょうか
1.復活は事実
それは巧みな作り話によったのではありません。私たちはキリスト・イエスの威光の目撃者として伝えたのです(Ⅱペテロ1:16)
キリスト教会は二千年間、イエスの「復活」を事実として宣べ伝えて来ました。そして、これからも「復活」を事実として宣べ伝え続けます。なぜなら「復活」こそがキリスト教の核となる出来事だからです。「復活」がなければ私たちの信仰は虚しいのです(Ⅰコリント15:14)。
2.復活は愚か
神は、宣教のことばの愚かさをとおして・・・救う(Ⅰコリント1:21)
「復活」は二千年前の人々にとっても愚かに聞こえることでした。現代に生きる私たちにとってはなおさらのことです。しかし、神はあえて愚かに聞こえる「福音」をとおして、信じる者を救おうと定められたのです。ですからイエス様は言われました。「子どものように神の国を受け入れなければ、決してそこに入ることはできません」(ルカ18:17)
3.復活は希望
しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。(Ⅰコリント15:20)
人間にとっての一番の問題は「死」です。普段はそのことを意識していないかもしれませんが、いざ「死」が目前に迫る時、全ての人がそのことを悟ります。キリストの復活は、私たちに「死」は終わりではないこと。「死」こそ、真の人生の出発点であることを教えるのです。
(2021年4月4日の礼拝説教要約)