Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

異端化・カルト化する兆候

「教えにとどまる者こそ、御父も御子も持っています」(Ⅱヨハネ9)教えにとどまるためにも、間違った教えを見分ける術を身につけましょう。

1.指導者が神格化される

わたしの名を名乗る者が大勢現れ、「私こそキリストだ」と言って、多くの人を惑わします(マタイ24:5)

指導者がキリストを自称しなくとも、自らを神格化しようとするならその集会は誤った方向に向かっています。あるキリスト教会の最高指導者は「キリストは神の右の座に着いておられ、私は神の左の座に着いている」と発言するようになり、化けの皮が剥がれました。教会では指導者が崇められるのではなく、神のみが崇められるべきです。

2.聖書に基づかない教えがある

だれでも、「先を行って」(別訳※行き過ぎをして)キリストの教えにとどまらない者は、神を持っていません(Ⅱヨハネ9)

キリスト教の異端はもともと聖書に基づかない独自の教えが含まれていることがほとんどですが、正統的な教会でも、聖書に基づかない教えが説かれ始めたなら、それは異端化またカルト化する兆候です。最初はほんのちょっとだけ聖書の教えから逸れているだけかもしれませんが、気づけば正統的な教えからかけはなれた教えになる可能性があります。

3.再臨の日時を特定する

ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません...ただ父だけが知っておられます(マタイ24:36)

再臨の日は「だれも知りません」と聖書に明記されているのに、再臨の日時を特定する人がいるのには驚かされます。しかも、多くの信徒を擁する大教会の牧師が、そのような発言をしたりするのですから、本当に聖書を読んでいるのかと、驚きを越えて呆れ果ててしまいます。普通に聖書を読んでさえいれば基本的に騙されることはありません。

(2022年8月7日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)