Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

注ぎの油が教える

「注ぎの油がとどまっているので、だれかに教えてもらう必要はありません」とはどういう意味なのでしょう?その意味を聖書に探りつつ、霊の糧を食しましょう。

1.注ぎの油とは

液体の没薬...香りの良いシナモン...香りの良い菖蒲...桂枝...オリーブ油...これらを調合し、聖なる注ぎの油を作る(出30:22)

「注ぎの油」とは祭司や祭具を聖別する物として、オリーブ油に香料を加えて作られた特別な油でした。ヨハネはこの「注ぎの油」が「聖霊」を象徴する物と理解していたので「あなたがたのうちには注ぎの油がとどまっている」と言ったのです。あえて「注ぎの油」と表現したのは私たちの神の祭司としての召しを想起させるためだったのでしょう。

2.御子から受けた注ぎの油

あなたがたのうちには、御子から受けた注ぎの油がとどまっているので、だれかに教えてもらう必要はありません(Ⅰヨハネ2:27)

「御子から受けた注ぎの油」とあるように、聖霊様はイエス様を救い主として受け入れる全ての人に与えられます。イエス様はそのためにこそ地上に来られました。聖霊様の存在は私たちがこの地上での救い(新生・聖化・栄化)を達成するために不可欠です。だからこそ、聖霊様を悲しませたり、ないがしろにしてはならないのです。

3.注ぎの油が教える

注ぎの油が、すべてについて...教えてくれます(Ⅰヨハネ2:27)

「注ぎの油が全てについて教えるので、誰からも教えてもらう必要がない」とは、文脈からその正確な意味を読み取ると「あなたがたはすでに救われ、聖霊によって導かれているのだから、救われるために異端的な教えを必要とはしていない」ということになります。私たちは聖霊によって記された聖書だけが、救いについて、また真理について、そのすべてを明らかにするという信仰の上に自らの人生を築き上げましょう。

(2023年3月5日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)